しくじり症例から学ぶ総合診療
事例 プレゼンテーションの基本を怠った筆者
①それまでの経験
筆者は地域の診療所で専攻医として働いていた。あるとき指導医から,「学校の先生の前でエピペンの講習会を開いてほしい」と依頼があった。
身内の組織内向け以外に講演を行ったことはないし,そもそも食物アレルギーを教えられるほど学んだという自信もない。
気を引き締めて準備にかかった。目的から導入や伝える手段まで整理し,簡易の企画書も作成してのぞんだ。講習会では,参加者はすぐに内容に没頭し,表情も良く活発に質問も出た。盛況のうちに終わり,事後アンケートでも好評であった。地域向けの講演会を依頼されても,これなら大丈夫だなと感じた。
②グループホーム職員への心肺蘇生法講習会の依頼
今度は自施設の訪問看護師から,「グループホーム職員向けの心肺蘇生法の講習会を開いてほしい」と依頼があった。当院ではグループホームは8ユニットを担当しており,定期訪問診療をしている。訪問看護で健康管理に関わっているグループホームに対して,定期的に学習企画を行うことになった。そこで,まずは心肺蘇生法の講習はどうかという話になったようだ。
食物アレルギー講習会の成功で気を良くしていた筆者は,「心肺蘇生法の講習会なら,これまで属した施設で何度か関わったこともある。この前の食物アレルギー講習会でも心肺蘇生法の実習は少しやったし,これまでと同じようにすればバッチリだ」,そう考えた。
これまで経験した心肺蘇生法/AED講習と同様に準備をして,機器もスライドもしっかり準備した。当日は意気揚々とのぞみ,定形通り講習は進んだが……。
4人ごとのグループにわかれて実技の練習を行ったが,グループによっては重~い空気が流れて盛り上がらず,誰も手を動かしたがらない空気……。ファシリテーターとして手伝ってもらった研修医の先生にも申し訳ない気持ちに……。身近にAEDが設置されていないところも多いようだった。
地域の方々向けの講演会では様々な特性の方が対象となるため,これまで行ってきた医療機関でのプレゼンテーションとは異なっていた。どこに目的を置くか,受け手はどんな人たちか,何を求められているか,どんな情報を盛り込むべきか,というプレゼンテーションの基本が抜けており,「しくじり」を自覚した。
しくじり事例の過程の考察
当初の食物アレルギー講習会は,1から計画するということで,目的や教育方略,導入の仕方まで簡易的な企画書を作成した上でのぞんだ。その上に,エピペンを持った児童がやがて入学してくるという危機感もあり,そもそも対象が教員ということで理解力も高かった。そうした点がうまくいった要因であったと考えられた。
一方で,心肺蘇生法の講習会は院内向けで既に経験があり,同様にすればよいという思い込みがあった。グループホームの職員は専門技能を持っているというより,むしろ制度設計上も一般の方々とほぼ同様である。医療にもまったく馴染みがない方々に対しては,院内での心肺蘇生講習会に倣って行うのは無理があった。職場の指示で参加していると思われる方も多く,複数の施設から寄り集まった初対面同士であった。また,教員と違い,このような集団学習の場にも不慣れで,いきなりモチベーションを掻き立てられる状況の方ばかりではなかった。レクチャーで伝える内容は無理なく理解できる範囲にとどめ,アイスブレイクに十分に時間をかける必要もあった。
しかも,AEDが設置されているグループホームはほとんどないのが実状だった。心肺蘇生まではともかく,AEDに関する知識が職場ですぐに活かせる状況ではなかった。依頼としては心肺蘇生法/AEDの講習会であり,そのまま深く考えずに引き受けたが,参加者の特性やニーズを考えれば,心肺蘇生法やAEDは講習で触れつつも,ニーズを調査した上で,たとえば全身状態の評価の仕方など少し視点を変えた内容を中心としてもよかったのかもしれない。
こうすればよかった,その後自分はこうしている
指導医とも振り返りを行い,講習会などでの基本的なプレゼン技術を学習し直した。こうした講習会の取り組みは,教育プログラム開発の枠組み1)でとらえることができ,結果の評価を含めてより効果的に行える。しかし,まず取っ掛かりで参考になるのは,プレゼンを考える上で必要なポイントが整理されているPANICの法則である(図1)2)。特に今回は,audience(聴き手は誰か),need(何を求めているか)が重要であった。プレゼンの聴き手がどのような人々で,何を求めているかを徹底的に考え,アンケートやヒアリングで事前に調べておくことが重要であった。それでも聴き手のニーズが把握しきれないときは,全体像や各論の概要までは詳しく述べた上で,質問の時間を多めにとって対応するのがよいと思われた。
翌年度に計画された食物アレルギー講習会では,先方の担当者との相談の場をあらかじめ設定し,確実に状況を確認した上で事前アンケートも作成した。こうして徹底的にaudienceやneedを把握してinformationを検討し,実際のエピペンの保管場所やAEDの設置場所まで加味して,現実に即した教育内容へと改良をはかった。また,そのことでさらなる評価を得ることができた。
今では地域住民への講演会でも同様に,PANICの法則の枠組みで準備をしてのぞんでいる。
このしくじりは,すべての教育活動に当てはまる普遍的なテーマです。要は,「学習者のニーズに合った内容を教えられているか」という問題ですね。たとえば,臨床医志望が強い学生たちに基礎医学の細かい知識を延々と授業する場合とか,進路を外科系に決めている研修医に内科的な臨床推論の仕方を細かく教える場合などでしょうか。こういうとき,学生や研修医は寝てしまうなど,学ぶ意欲が湧かないということを全身で表現してきます(笑)。しかし,教育的ニーズというのは,必ずしも学習者のニーズだけではなく,教育するほうのニーズもあるわけで,たとえば,「外科医になる人にも内科のこの基本知識は知っておいてほしい」ということがありますよね。そういうときには結構難しい問題が出てきます。
このような場合,筆者はインストラクショナル・デザインのARCSモデルをよく使います。ARCSモデルというのは,学習者のモチベーションを上げ,かつ,教育ニーズに沿った効果的な教育を行うためのものです。Aはattention(注意)で,まず学習者の興味・関心を引く仕掛けをつくります。Rはrelevance(関連性)で,学習の意義をわからせ,やりがいを感じさせる側面です。Cはconfidence(自信)で,学び始めの小さな達成感・満足感を持ってもらいます。Sはsatisfaction(満足)で,学習を振り返り「やってよかった」と感じられる仕組みです。
今回のケースで言えば,対象となるグループホームの職員たちの学習ニーズはどういうところにあるのか,普段どんなことに課題を感じているのか,といった事前調査ができれば設計しやすくなります。ただ,事前アンケートなどはなかなかできないこともあるでしょう。そのときは以下のように予想して計画を立ててみましょう。
- 対象となる人たちが課題と感じていることは?
- どんなことを学びたい?(知識か,スキルか)
- どんな学習スタイルを好む?(レクチャー形式,あるいは体を動かす演習形式)
など
そうすると,自然にARCSモデルの要素を設計しやすくなります。たとえば,「BLSではなく,嚥下障害に対する対処の仕方」といった講演内容を考えたとしましょう。ARCSのA(注意)では,まず新奇性・面白さを考えます。ビデオを見せたり,症例をベースに考えてもよいでしょう。次に,R(関連性)では,対象者の普段の仕事とこれから学ぶことに関連があるということを伝えるだけでOKです。あるいは将来,このように役立つということを伝えます。C(自信)では,嚥下障害に関する演習問題・クイズに答えさせたり,グループワークでより学びを深めたりするといいでしょう。S(満足)では,たとえば,さらに学びたい人のための教材やサイトを案内するだけでもよいのです。
普段,教えていない対象や,自分と領域の違う人たちに越境して教えるというときは,特にこの「ニーズ問題」を意識し,少し工夫するとよいでしょう。
文献
- D.E.カーン,他:医学教育プログラム開発6段階アプローチによる学習と評価の一体化.小泉俊三,監訳.篠原出版新社,2003.
- A・ブラッドバリー:プレゼンテーションを学べ!.ディスカヴァー・トゥエンティワン,2006,p21-36.
しくじり症例から学ぶ総合診療
「しくじり症例から学ぶ総合診療」
編者: 雨森正記(弓削メディカルクリニック院長)
監修: 西村真紀(川崎セツルメント診療所所長)
提供/発行所: 日本医事新報社