しくじり症例から学ぶ総合診療
症例 患者:Sさん,50歳代,女性
Sさんは,5年前に他院で2型糖尿病の診断となり内服加療を受けていた。2年前に当診療所の近所に転居され,引き続き当院で加療を開始した。
当初はHbA1c:6.8前後で良好なコントロールであったが,1年前からHbA1c:7.5と少し悪化傾向であった。生活習慣を確認すると,食事療法がうまくいっていないとのことだったが,Sさん自身から「規則正しい時間に食事を摂取すれば大丈夫だと思います」という具体的な改善案が提示されたため,それ以上詳細を確認しなかった。
ある日,Sさんが受診されたが,カルテを見返すと半年ぶりの受診だった。受診3日前に前もって行われた採血では,HbA1c:9.3まで悪化していた。半年前までは毎月受診されていたので,最近半年間,受診が滞っていた理由を尋ねてみた。
そもそも2年前に転居してきた理由が,1人暮らしでがんを患っていた母親を介護するためだった。そして母親の病状が徐々に悪化し,1年ほど前から介護負担が増えるにつれて自分の食事の時間が不規則になったり,食事内容が偏ったりするようになったため,糖尿病が悪化していった。そして,半年前から母親が在宅で点滴を受けるようになり,日中離れることができず自身の通院が困難となっていた。その母親も2カ月前に他界され,家庭のことが落ち着いてきたため本日受診したとのことだった。
食事,運動などの生活指導だけでなく,定期的に受診することが可能なのかどうかという視点ではSさんの背景を探っておらず,その結果,定期通院が途切れてしまい「しくじり」を自覚した。
しくじり診療の過程の考察
当院初診時は,まだラポールが形成されていない段階であったため転居してきた理由を確認しておらず,また,1年前に糖尿病が悪化したときもSさんから自発的な改善案が出てきたため,悪化した理由の背景について詳細に確認することを怠ってしまった。生活習慣の改善についてSさんと相談していたが,前提と考えていた定期通院自体が糖尿病のコントロールを安定させる大切な方略であることを忘れており,定期通院が中断される可能性という視点で背景を探ったり話し合ったりしなかったため,しくじりにつながった。
こうすればよかった,その後自分はこうしている
患者がどんな生活をしているのかを聞き,糖尿病のコントロールのために介入できそうなポイントを探りつつ,仕事の話が出れば出張や転勤の可能性はあるのかを確認したり,家庭の話が出れば今後通院が困難になりそうな可能性はないか,ときどき確認するようにしている。
そして,定期通院が難しそうなときは前もって処方日数を調整したり,診察日をずらすなどの対応をしている。
また,今回は紙カルテだったので難しかったが,電子カルテのシステムによっては定期通院が滞っている患者をピックアップする方法もあるかもしれない。
このしくじりは,総合診療医・家庭医が大切にしていることの多くを教えてくれています。患者にはbio-psycho-social(生物・心理・社会)の背景があること,家族という背景があること(家族志向型ケアで出てくる「家族の木」1)はあまりにも有名ですね),そして患者中心の医療の方法にも挙げられている「かきかえ」(解釈,期待,感情,影響)が患者の行動と受療動機に大きく関連していることです。多くの疾患の中でも,糖尿病は患者背景が病状にストレートに影響しやすく,医師がその人の暮らしぶりとどのように向き合っていくかが治療経過を左右します。
糖尿病治療の最低限必須の目標は,通院中断=ドロップアウトを防ぐことにあります。良いときも,悪いときも,とにかく診察に来てくれればいろんな介入ができます。なので,筆者はたとえHbA1c値が悪くても,「今日も来てくれてありがとう」という気持ちをなるべく表現するようにしています。糖尿病患者は毎日の内服,食事を気にしての生活,運動しなきゃというプレッシャー,インスリン注射や血糖測定など,想像もつかないような不自由さの中で生活をしています。それを心からねぎらい,決して怒ったりせず,「今回もよく来てくれました。少し悪化したけど,何か思い当たることありますか」と,患者本人の言葉を引き出すようにしています。オープンクエスチョンから表現される患者の答え,答え方の中に多くのヒントが隠れているからです。
職業,通院手段,経済状況を聞くことも大事でしょう。勤務形態によっては来院しづらい日があるかもしれませんし,車の運転ができない患者は,連れてきてもらう家族の都合で通院日が決まったり,バスや電車の本数で都合が変わることもあるかもしれません。経済状況の変化は通院中断のよくある理由のひとつなので,「今のお薬代は負担ではないですか」という心配りも必要です。「また来て下さいね」という気持ちを表現しながら,このような患者の事情にアンテナを張れるようになりたいものです。予約がキャンセルされたときには,患者の家族や友人に様子を聞けるような,地域とつながった診療を続けたいですね。
初診時,患者は「いつか糖尿病が治って,通院をやめたい」という淡い期待を持ってやってきます。やんわりと,優しく,糖尿病は一生のお付き合いであること,今後ずっと数カ月おきに継続した通院が必要であることをお伝えするのが,初診時の最大のミッションだと考えています。
文献
- McDaniel SH, 他: 家族志向のプライマリ・ケア. 第2 版. 松下 明, 監訳. シュプリンガー, 2006.
しくじり症例から学ぶ総合診療
「しくじり症例から学ぶ総合診療」
編者: 雨森正記(弓削メディカルクリニック院長)
監修: 西村真紀(川崎セツルメント診療所所長)
提供/発行所: 日本医事新報社