しくじり症例から学ぶ総合診療
症例 患者:Uさん,80歳代,男性
Uさんは,通院が困難になったということで訪問診療目的で紹介された。寝たきりではあったが,ベッドをヘッドアップすれば自分で食事をとれていた。認知症のため意思の疎通が難しく簡単な応答程度であったが,家族は診察時には同席することがほとんどなかった。
1年半くらい経過したところで徐々に食欲が落ちてきていたが,家族も積極的な検査は希望せず,認知症の進行と考え経過をみていた。数カ月後に発熱で呼吸苦が出現し,家族が入院を希望したため紹介したところ,咽頭がんであることがわかった。最初に受け取った紹介状を見直すと,喫煙歴やアルコール多飲の病歴も記載されていた。
認知症の進行と考え思考停止し,食欲不振として鑑別することが抜けており,「しくじり」を自覚した。
しくじり診療の過程の考察
ADLが低い状態で認知症も重度であったため,食欲不振を仕方ないことだと思っていたふしがあった。家族があまりUさんに関心がないように思えていたこともそれを後押ししていたと考える。しかし,本来なら自分が関わるようになった際に行うべきCGA や口腔ケアなどの確認がおろそかになっていたこと,症状が出た時点で病歴や既往を確認し,鑑別診断を考えての身体所見をとらなかったことがしくじりにつながった。
こうすればよかった,その後自分はこうしている
最初の訪問診療の際には,あらかじめ用意したフォーマットに従い,CGAや口腔ケア,難聴がある場合の外耳道の確認を行い,それを誕生日のタイミングで定期的に再評価するように注意し,家族が同席しないことを本人への関心という軸だけでとらえず,家庭内の事情も確認し,定期的に話ができるようにしている。
また,何か症状が出現した場合は病歴の聴取と鑑別診断,バイタルサインを含め身体所見をきちんととるように努めている。
このしくじりは,筆者もよくやります。患者の発熱の原因が褥瘡感染であると,あとでわかったことがありました。日常のあわただしい中,我々はいろいろな認知バイアスにとらわれてしまいます。
複数医師が訪問診療を担当している場合は,簡単な「?」症例でも日常的に意見交換する場を設けるとよいかもしれません。しかし,筆者のように基本的に1 人で訪問診療を行っている場合は,「多職種からいかに情報をもらうか」が生命線と考えています。頻度から考えても「咽頭がん」<「認知症進行による食思不振」が多いと思います。ただ,それが確証バイアスになって,「この患者は認知症進行による食思不振かもしれない」を,「この患者は認知症進行による食欲不振だ」と,いつの間にか事実にしてしまいます。忙しい日常で,この確証バイアスから逃れるのは難しいことです。また,家族が無関心だと,自分の思った通りの状況に納得してくれるはずという「偽の合意効果」も働きやすく,確証バイアスをより強固なものにすると言われます。これを回避する方法は,critical thinking(批判的思考)や,他者からの意見をもらうことです。ゆえに筆者は,いかに他の職種から意見をもらうかを大切にします。ただこのケースの場合は,診断学の問題なので,なかなか多職種からの意見は難しいですね。医師には気づくことができなくても,医療界には医師を中心とした権威勾配が在宅の現場でもまだまだ存在しています。その権威勾配をいかに緩やかにして情報を得るかです。
筆者が行っていることは,在宅チームとリアルタイムに情報をやり取りすることです。訪問診療が終わったら,いまだにFAX ではありますが,居宅療養管理指導書を居宅事業所や訪問看護ステーションにすぐ送っています。また,訪問看護師とは,患者氏名を出さずにLINEでのやり取りをし,時間と手間の壁を低くして情報が入りやすくしています。筆者のいる滋賀県湖南市はそれほど大きくないので,訪問看護師,ケアマネジャーは普段から顔の見える関係ですし,行政も医師同士や多職種が交流する会合の定期開催を後押ししてくれています。
自分のスケジュールの中でcritical thinkingの時間を定期的につくるとよいですね。筆者は,月1回の多施設強化型診療所カンファレンスで,必ず「?」を1例は出しています。網羅的・俯瞰的にとらえられるCGAを行うことは,critical thinkingにつながりやすいよいきっかけづくりだと思います。
言い逃れではないですが,この患者に食欲不振の症状が出たときに,「咽頭がんです!!」とびしっと診断をつけられると「医者的にはかっこいい」かもしれませんが,その診断に際して,寝たきりの認知症患者に胃内視鏡検査を受けてもらうというのは病院ではかなり嫌がられます。受ける患者もつらいですし,搬送する家族も大変です(あまり関心が強くない家族ならなおさら)。このように多くの人に頑張ってもらっても,頻度で考えると,「胃内視鏡検査上,正常」と言われることがほとんどだと思います。仮に早めに診断がついて,咽頭がんが治癒すればいいですが,食欲不振をまねくほどの認知症寝たきり患者の咽頭がんが根治できる可能性は低いと思われます。逆に,その治療過程に伴う苦痛などで,家族も含めて患者のQOLを低下させることが容易に予想できます。診断が医者のひとりよがりにならないようにしなくてはならないと思います。
診断をつけることよりも,医師の思考の中でこういう状態もありうると考えておき,「悪性疾患がらみのことがあるかもしれませんが,侵襲のある検査はかえって本人がつらいだけで,予後も改善しません」と家族に説明する。そして,病院への紹介状に「悪性疾患も除外できませんが,侵襲ある検査はしないと家族と相談していました」などと書けたら,かっこよかったかもしれませんね。
しくじり症例から学ぶ総合診療
「しくじり症例から学ぶ総合診療」
編者: 雨森正記(弓削メディカルクリニック院長)
監修: 西村真紀(川崎セツルメント診療所所長)
提供/発行所: 日本医事新報社