しくじり症例から学ぶ総合診療
症例 患者:Yさん,91歳,女性
当院は強化型在宅療養支援診療所であり,常勤医4名(専攻医を含む)のグループにて外来診療と訪問診療を行っている。外来や訪問の診療曜日は決まっているため,ゆるい主治医制(毎回診察する医師が同じになる)はあるものの,基本的には複数の医師で患者を担当している。また,週末の往診当番は4名で均等にまわしているため,診療内容を共有したり,当番週末前に訪問診療を行い,往診で「はじめまして」になるべくならないように訪問診療予定を配慮している。また,年間看取り件数は40人ほどであり,近隣の総合病院から末期がんの診断にて当院へ在宅ターミナルケア目的で紹介される患者も多い。
Yさんは訪問診療導入のため当院へ紹介となった。生来健康であったが,X年7月15日に腹部膨満感を訴えS総合病院を受診。腹部CTにて膵頭部腫瘤影と多発肝腫瘍を認め,精査の結果,膵頭部がん,多発肺転移,多発肝転移と診断された。
S総合病院消化器内科では,初め家族は本人への告知を希望していなかったが,今後の方針決定に際して,本人の意思が重要であり,治療方針決定のためには病状理解が必要であることを病棟主治医から家族へ説明して,Yさんにも病名を伝えたとのことであった。その結果,Yさんとしては高齢であり積極的な治療は行わずに緩和ケアを中心に行うこと,入院はせず,できるだけ自宅で過ごしたい,終末期は自宅で迎えたい,とのことであった。そこで,在宅看取りを含めた訪問診療導入のため7月16日に当院へ紹介となった。
7月20日,初回診療はA医師が訪問した。Yさんは「ヘソのあたりから下が苦しい」,同居の娘さんは「うずくまるくらいの痛みが出ている,今日は嘔気もあるようで,食事も一口,二口食べている感じで薬は全然飲めない」とのことであった。フェンタニル貼付剤と疼痛時の頓用薬にて疼痛緩和をはかりながら,1週間後再診とした。
7月27日,週末待機のためB医師が訪問した。Yさんは「私は何も悪いことをしていないのになぜ病気になるのか」と怒っていた。娘さんは「痛みは落ち着きましたが,全然食べられていません。予後については母に言ったら衝撃が強いので伝えたくないです。ただ,母は何となく気づいているとは思います」とのことであった。B医師が診察すると,眼球結膜や皮膚ともに黄疸が著明,腹部膨満もひどく腹水が増えてきていると思われた。所見として「黄疸や腹水の増悪」について医師からYさんへ伝えようとすると,娘さんがそれを制し,「伝えないで下さい」と言った。B医師は,①本人の認知機能は年齢相応であり十分に現状の理解が可能であること,②死の受容ステージの怒りの段階であり,受容を促すためには現状を伝えるのが有効かもしれないこと,③この2~3日経口摂取もできておらず予後も数日である可能性が高いこと,などから現状を本人に伝えるべきだと思ったが,娘さんからの強固な反対にあい,モヤモヤしながらもYさんへ予後は伝えずに訪問診療を終えた。
同日の夕方,A医師とB医師で現状の治療方針について話し合った。B医師は「Yさんの認知機能が保たれている以上,現状を伝えることが本人のためになるのではないか」という主張であった。一方でA医師は,初回訪問時に感じた,予後をYさんへ告知してほしくないという娘さんの気持ちの強さを思い出し,「そうまでして娘さんがYさんへの告知を拒否するのはなぜなのだろうか。今後残される娘さんに母親の看取りを後悔なく迎えさせるのも大事なのではないか」という主張であった。
しくじり診療の過程の考察
末期がんの在宅看取りという時間的な制約がある中で,患者や家族とラポール形成をしながら,病名告知済み/予後未告知というケースであった(残念ながら現場ではよくあるのだが……)。その中でYさんの病状も急速に悪化し,その変化に対して医師も対応と説明,Yさんと家族の受け止めや現状認識などをふまえながら,Yさんと家族に対してトータルペイン(身体的苦痛,精神的苦痛,社会的苦痛,スピリチュアルな苦痛)へのケアが求められた。主治医を1名に固定したとしても緻密なていねいさが必要だと思われるが,その中で訪問診療の予定や週末当番への配慮などが絡み,初回訪問と2回目訪問で診療する医師が複数となり,治療方針も異なることになった。
こうすればよかった,その後自分はこうしている
本事例はその後,A医師,B医師,診療所看護師,診療所ソーシャルワーカー,訪問看護師も交えて臨床倫理の4分割(表1)1)を用いた症例カンファレンスを実施した(図1)。医師間で治療方針が異なっても,根本的には患者のためという点では一致しているため,現在の状況を整理し「本人のQOLに資するマネジメントは何か?」ということを臨床倫理の4分割表を用いて,多職種で意見を出しながらチームとして合意形成をしていった。
結果としてはYさんの病状も悪化し意識レベルも落ちてきているため,予後は伝えずに苦痛緩和をはかっていく方針となった。Yさんのように,予後が短くても複数の医師が担当として関わらざるをえない場面もあるが,前にみた医師の方針を大きく変えることなく無理せずにマネジメントすることの重要性を再認識した。ただ,これはケースバイケースで,本人の代弁者(advocacy)として2),逆にそのときに方針を変えるという医師の引き出しも持っておく必要はあるだろう。
このようなケースはグループ診療を行っている施設であれば,皆経験していると思います。考えるポイントは2つです。1つは,患者の意思や希望を尊重した終末期を過ごすこと。これはACP(advance care planning)につながるところです。もう1つはグループ診療における情報と方針の共有です。
ACPについては,やはり患者本人の意思や希望を第一に考える必要があります。もし,患者の意思や希望を聴取することができなくても,代理意思決定者に準ずる人(このケースでは娘)と,「患者がどのように考えているか」を話し合うことが重要だと思います。ACPは,これまで本人が培ってきた人生観・価値観などが大きく影響します。たとえば,患者が元気だったときから家庭医として長期間関わってきたのであれば,医療者もそれを推し量ることができるかもしれません。しかし,終末期の在宅医療の多くは,患者と出会ってすぐにこのような人生の大きな決定に関わらなくてはならないという困難さが伴います。患者の意思を一番よく知っている人と,その思いについてじっくり考えることが重要です。
多職種のチームでカンファレンスを開くのも効果的です。また,臨床倫理の4分割表(表1)を用いると思考過程が明確になります。しかし1つ気をつけることは,「勝手な想像をしていないだろうか?」という疑問を,チームで常に持つことです。特にベテランになると,自らの経験から患者や家族の意向を想像してしまうことがあります。前述のように,患者1人ひとりにはこれまでの生き方と様々な考えがあります。「出会って間もない我々が,正しく想像できることはむしろ少ない」という謙虚さも大切です。
そして,もう1つのポイントはグループ診療における情報と方針の共有です。情報通信技術が発達し,クラウド上にある情報をいつでもどこでも共有することが可能になりました。終末期をどのように過ごすかという意思決定において,我々はどうしても考慮の末の「結果」にのみ目が行きがちです。しかし,重要なのはその結果に至った過程です。たとえば,筆者の経験したケースですが,当初は積極的な治療を望んでいた患者の息子が,予後告知を受けた患者本人の「最後は孫と穏やかな時間を過ごしたい」という希望を聞き,自宅での療養を受け入れたということがありました。一度決めたことでも,気持ちが揺れ動くことは多々あるため,その決定に至る過程を共有しておくことは重要です。患者と家族の不安や迷いを共有するからこそ,意思決定の変更にも対応できるのです。
文献
- Jonsen AR, 他: 臨床倫理学. 第5版. 赤林 朗, 他監訳. 新興医学出版社, 2006, p13.
- Wonca Europe:THE EUROPEAN DEFINITION OF GENERAL PRACTICE/FAMILY MEDICINE.WONCA EUROPE 2011 Edition.
しくじり症例から学ぶ総合診療
「しくじり症例から学ぶ総合診療」
編者: 雨森正記(弓削メディカルクリニック院長)
監修: 西村真紀(川崎セツルメント診療所所長)
提供/発行所: 日本医事新報社