しくじり症例から学ぶ総合診療
ポイント
- 診断エラーは,知識や技術の不足のみに起因するものではない。状況・情報収集・情報統合に関わる多要因が絡み合って生じるものである
- 診断エラーを防ぐための唯一絶対の対抗策はない。種々の戦略を組み合わせ,継続的に発揮する努力が必要である
はじめに
我々は日々の診療において,患者が有する健康問題を明らかにし,それを解決しようと考え行動している。この思考過程を臨床推論と呼び,とりわけ前半の「健康問題を明らかにしようとする過程」は診断推論と呼ばれている。診断推論においては,無意識的に進行する「直観的思考」と,意識的に行う「分析的思考」という2つの思考を我々は用いている(表1)1)。効果的・効率的に正しい診断に至るためには,それぞれの思考プロセスの特性を知り,意識的に行われる分析的思考を反復・強化して適切に思考プロセスを制御すること,そして,診断の誤りをもたらす要因を理解し対処法を備えていくことが重要である。本項では,診断エラーについて定義と発生頻度,エラーをもたらす要因,およびその対策について概説する。
診断エラーの定義と頻度
そもそも,診断エラーとはどのような事象を指すのだろうか? 米国医学研究所は,「患者の健康問題について正確で適時な解釈がなされないこと,もしくは,その説明が患者になされないこと」を診断エラーの定義として提唱している。このため,医療的準則に違反して患者に被害を生じさせる「過誤」を必ずしも指しているわけではない。
また,診断エラーは,①診断の見逃し( missed diagnosis ),②診断の間違い( wrong diagnosis ),③診断の遅れ( delayed diagnosis )と,相互重複はあるものの大きく3 つに分類することができる。
わが国の臨床現場における診断エラーの発生頻度は明らかになってはいないが,米国での後方視的研究では,入院患者の約15%に診断エラーが生じていたと報告されている2 )。この数値は,患者の変化を観察しやすく,外来に比べて時間的制約が少ない入院医療の場での頻度であることに注目したい。このため,外来診療,とりわけ疾患のより未分化な段階への対応が求められるプライマリ・ケアの場は,より診断エラーが発生しやすいのではないかと推測される。
診断エラーを生じさせる要因
診断の誤りが生じた場合,その要因として自身の知識や技術の不足を真っ先に考えるのではないだろうか? 前述の診断エラー頻度に関する報告2 )では,さらにその発生要因が分析されている。100 人の患者に生じた592 件の診断エラーのうち,その多くは認知・心理的要因に起因するエラー(320件)とシステム要因に起因するエラー(228件),および両者の重複であり,知識・技術の不足はわずか11件にとどまっていた。不正確な知識や不適切な情報収集は臨床経験の蓄積により減少する可能性がある一方で,得られたデータの統合・解釈の誤りは臨床経験とは独立していると考えられている。すなわち,知識や技術の習得だけでは診断エラーを防ぐことは困難なのである。
❶状況・情報収集・情報統合――診断エラーに陥る3 要因
認知・心理的要因やシステム要因を含む,診断エラーの代表的要因を3 つに分類して図13 )に示した。1 つ目の状況要因は,疲労蓄積に代表される,医師を取り巻いている判断を誤らせるような環境要因と,医師個人の性格や,患者に対して抱く感情に起因する要因から成っている。次に,情報収集要因は,医療面接,身体診察,検査および入手した情報源や情報提示のされ方などによるものが含まれている。臨床経験を積むことにより短時間で適切な医療面接や身体診察ができるようになるが,その反面,思考の近道(ヒューリスティクス)を多用することで必要十分な情報収集を怠ってしまう懸念もある。最後の情報統合要因は,推論プロセス全体に深く入り込み,思考を容易に誤らせてしまう認知反応傾向が複数挙げられている。ほとんどの場合,情報統合は無意識的に行われるため,意識的に思考を監視しなければこれらの要因に気がつくことすら難しい。
1 人の患者に発生した診断エラーに対して,これらの状況,情報収集および情報統合の各要因が複数存在し,かつ複雑に関係している。このため,どのような要因が関わってエラーを生じさせたのかを振り返ることが必要である。
❷思考を惑わす認知・心理的要因―認知反応傾向
我々は日常のほとんどの時間を無意識的に過ごしており,診療現場においても,この無意識的な思考である「直観的思考」を常に用いている。多くの場合は直観的思考でうまくいくものの,思考の近道をとろうとするあまり歪みを生じやすく,診断が思わぬ方向に進んでしまうことも少なくない。このように,思考に影響を与えるバイアスやヒューリスティクスは認知反応傾向( cognitive disposition torespond )と呼ばれており4 ),名称がついているものだけでも100 以上あると言われている。
代表的な認知反応傾向を,有病率見積もりに影響するものと推論プロセスに影響するものに大別して表24 )に示した。前者の1 例としてbase-rate neglect(頻度の無視)を取り上げると,これは疫学的な頻度の高さのみならず,「その診療現場において対応することが多い疾患からまず考える」という原則から逸脱するものである。このため,季節や診療している地域とともに,診療の場が診療所か病院か,病院であればどのような機能を果たしている病院か,患者を診察しているのは一般外来・救急外来・病棟のいずれか,そして時間帯は日中か夜間・休日なのかで,それぞれどのような疾患の頻度が高いのかを事前に想定しておくことが重要になる。これと相反するものとして,よくある疾患のみに注目しすぎて稀な疾患を想起できないzebra retreat(稀少疾患からの退却)も存在するため,バランス良く疾患を想起できることの重要性を認識したい。
後者の推論プロセスに影響を及ぼす認知反応傾向の中で,最も強力かつ排除困難と言われているのが早期閉鎖である。想起した疾患に合致する情報が特異的であればあるほど,他の可能性を考えずに突き進んでしまいがちであり,いったん診断への勢いがついてしまうと,あとから得られた情報に盲目的になってしまう傾向を我々は持っている。いかにしてこの勢いを制御するかが,診断エラーを回避する重要な鍵と言える。
どのように対策するか?
「どのようにすれば診断エラーを回避できるのだろうか?」というシンプルな問いに対する答えは,必ずしも単純ではない。結論から言えば,これまで述べた通り診断エラーをもたらす要因は多岐にわたるため,これらすべてに対して対応可能な「魔法の弾丸」は残念ながら存在しない。このため,複数の対処戦略を組み合わせていくことが必要になる(表3 )5 )。
❶思考に影響を及ぼす要因への理解
我々人間は,感情を持つがゆえに情緒的・認知的に患者へ共感することができる一方で,コンピューターのように完璧に論理的・合理的な思考をすることはできない。したがって,患者に対する陰性・陽性両方の感情や数々のバイアスにより,我々の思考は簡単に歪められてしまうものだと認識することが前提として必要である。加えて,自身の思考を第三者的に監視するメタ認知力を養うことで,スピードが上昇する思考局面において客観的判断を下し,意図的にブレーキをかけることができるようになる。
❷診断仮説を常に検証する姿勢
いったん動き始めた思考プロセスを制止することは容易ではない。そのため,「なぜそう考えるのか?」「想起した疾患に合わない点は?」という2 つの重要な質問を常に自身に問いかけるようにしたい。この2 つの質問は,直観的思考から分析的思考に切り替えるためのスイッチである。あまりにも早く診断にたどり着きそうなときほど,この質問を用いて診断過程を振り返るようにしたい。
❸バイアスへの対処戦略の装備
個々のバイアスに対しては,先人たちの長年にわたる努力により対処戦略が生み出されている。たとえば,鑑別診断はよくある疾患以外の稀な疾患までも考慮させる強制機能として働き,Bayes の定理を用いた確率論的思考は他疾患がいまだ除外しきれないことを認識させて,早期閉鎖を防ぐ役割を果たしている。このように自身に複数の戦略を装備することで,バイアスが入り込む隙間を減少させ,仮に入り込んだとしても効果的に排除することができる。
❹エラーからの学びを活かす
“To err is human(人は誰でも間違える)” と言われている通り,これまで述べた数々の対処法を講じたとしても,残念ながら診断エラーを完全にゼロにすることは困難である。このため,診断エラーが発生したことを自身のみならず全体で共有し,診療プロセス全体を振り返って要因を分析し,改善策を考え,次に向かって行動していくことが重要である。
❺システムへのアプローチ
これまでに述べた対策の多くは,情報収集や情報統合という各個人に由来する要因が中心であった。しかし,エラーを引き起こしやすいシステムを組織的に改善するという状況要因への介入は,容易ではないものの実現できれば非常に大きい効果がある。具体例としては,当直明けの注意力はビール大瓶2 本程度を飲んだあとと同様であるという報告を鑑みてシフト制勤務を導入することや,診断への焦りが生じやすい未診察の外来患者が増えた場合に,外来ヘルプ係を持ち回りで行うことなどが挙げられる。
おわりに
診断エラーは決して対岸の火事ではなく,我々の周りに日常的に存在するものである。様々な対処戦略を駆使し,自身の診療を省察しながら,診断プロセスを向上させる努力を生涯にわたって継続していくことが求められている。
文献
- Norman G:Adv Health Sci Educ Theory Pract. 2009;14 Suppl 1:37-49.
- Graber ML, et al:Arch Intern Med. 2005;165(13):1493-9.
- Bordage G:Acad Med. 1999;74(10 Suppl):S138-43.
- Croskerry P:Acad Emerg Med. 2002;9(11):1184-204.
- Trowbridge RL:Med Teach. 2008;30(5):496-500.
しくじり症例から学ぶ総合診療
「しくじり症例から学ぶ総合診療」
編者: 雨森正記(弓削メディカルクリニック院長)
監修: 西村真紀(川崎セツルメント診療所所長)
提供/発行所: 日本医事新報社