もつれない患者との会話術
補論1 保険医療機関および保険医とは
保険医療機関および保険医の位置づけ
保険医療機関および保険医は,健康保険法第70条第1項で省令の定めるところにより「療養の給付を担当しなければならない」と規定されています。この規定によって,保険医療機関および保険医は厚生労働大臣の命令に従って医療を担当しなければならないという法律上の義務を負っています。保険診療を行うには,病院および診療所は保険医療機関の指定を受け,医師は保険医の登録(「二重指定制度」)を行います。これは法律上の義務を履行する旨の意思表示をしたことを意味し,保険医療機関の指定と保険医の登録によって,法律上の義務を履行する旨の公法上の契約が成立したことになります。(下線部分筆者,以下同)
保険医療機関および保険医療養担当規則
厚生労働大臣が定める省令である保険医療機関および保険医療養担当規則(以下,「療養担当規則」)は健康保険法の規定に基づく命令です。したがって,保険診療を行う際,この療養担当規則の下で行われなくてはなりません。療養担当規則は全3章から構成されており,第1章は保険医療機関の守るべき規則,第2章は保険医が保険診療を行う上で遵守すべき診療方針,第3章の雑則は第24条のみ(読替規定)です。
また,わが国の医療保険制度は,いわゆる出来高払い方式を採用(一部に包括医療制度を導入)し,請求額に応じた費用を支払う仕組みとなっています。療養担当規則は,この仕組みの前提となるものです。したがって,その前提を無視したり,逸脱した請求がなされるということは,信頼関係を損ね,医療保険制度の運営を阻害することになります。要するに,保険医療機関および保険医としての責務を果たしていないということになります。
そこで,保険医療機関および保険医が規則を遵守しているかどうかを確認するために,審査支払機関(社会保険診療報酬支払基金,国民健康保険団体連合会)におけるレセプト審査があり,また行政側の医療指導監査があります。これは療養担当規則の周知徹底を図り,適正な保険診療を確保することを目的としており,保険診療の内容や請求業務についての妥当性をチェックしています。療養担当規則に反するような不正,あるいは不当な請求は,反社会的行為とみなされ,罰則の対象となります。
このように,療養担当規則は保険診療を行う上で絶対に理解しておかなければならない規定であるにもかかわらず,医療の現場ではあまり気にせずに診療を行っているのが現状のようです。本来なら遵守すべき規則を遵守しないために,保険医の取消や保険医療機関の取消処分がなされます。「保険医,保険医療機関とは何を意味するのか」をじっくり考え,法令に則った診療を行うことが大事です。
今後,保険診療を行う上で改めて療養担当規則がどのような規則なのか,ぜひ一度お読みいただければと思います。
一方で,一例として挙げた下記の第18条のように,たかだか2行の条文に下記の〈解説〉のような内容を含んでいることは想像できないと思いますので,もっとわかりやすく,誤解の生じない表現にしてほしいと思います。
条文例
- 療養担当規則第18条(特殊療法等の禁止)
保険医は,特殊な療法又は新しい療法等については,厚生労働大臣の定めるもののほか行つてはならない。
解説
本条は厚生労働大臣の定めるもの以外の特殊療法を禁止した規定です。ここでいう「厚生労働大臣の定めるもの」とは,診療報酬点数表に収載されている医療や通達によって準用する医療,薬価基準表に収載されている医薬品の使用,特定療養費に関する医療を指します。特殊療法とは一般的に行われていないものをいいますが,具体的には点数表未収載の医療行為および薬価基準表未収載医薬品をいいます。特殊療法は安全性や有効性が広く一般に認められておらず,場合によっては患者が不利益を被る恐れがあることから保険診療では禁止しています。また,点数表に未収載ということは,保険診療とは認められていないことを意味しています。
その部分のみを患者から実費徴収することは保険診療の中で,一部が自由診療となることから混合診療とみなされ,保険診療の大原則(混合診療の禁止)に反することになります。ただし,保険外併用療養費(例:先進医療等)を受けた場合については,この部分のみ実費徴収しても差し支えない扱いとなっています。
本条の「療法」とは,治療方法を意味しており,診断書の交付や外用薬の容器の使用は治療方法とは言いません。したがって,本条とは関係なく文書料や容器代を全額患者負担として徴収しても差し支えありません。
患者が医療機関で特殊療法を希望した場合には,その医療行為のみならず入院料や投薬料等すべての行為を自費扱いとしなければなりません。なぜならこれらの行為は特殊療法に付随する一連の行為とみなされるからです。
補論2 法令を理解する─療養担当規則と法令用語─
医事業務に関係する法令
ひとくちに法令といってもいろいろあります。国の最高規範として「憲法」があり,この規定に反することなく,国会の議決を経て制定された法規を「法律」といい,健康保険法や老人保健法がそれに該当します。次に憲法や法律の規定を実施するために内閣が制定する命令を「政令」といい,健康保険法施行令などが該当します。それら政令や法律を施行するために各省大臣が制定する命令を「省令」といい,健康保険法施行規則や療養担当規則などがこれに該当します。
そして保険医療機関にとって最も目に触れ,注意しなければならないものが「通知」です。通知は各省が所管の諸機関(都道府県など)や職員に対し執務上依拠し遵守すべき法令の解釈や運用方針を示すものです。よく「保険発第○○号」という通知を目にしますが,これは保険局の課長名による通知で,都道府県主管課(部)宛に具体的な法令の解釈等を示したものです。官報には法律,政令,省令が掲載されますが,通知は掲載されません。
通知にこだわる理由
通知は本来,上級行政機関が指揮命令権に基づいて下級行政機関に対して法令の解釈や運用方針を示すものであって,国民に対しての命令ではありません。言い換えれば,行政組織の内部に対して拘束するものであり,国民を拘束する法規としての性質を有するものではないということです。法規としての性質を有するものではないことから,誤った通知が裁判所により否定されることもあります。
しかし,通知は各省庁の専門的な職員が立法の背景や趣旨,目的などを十分に考慮して作成するため,法規ではないにしろ,継続して使われているうちに認知されてしまうような1つの慣習法として無視できないものとなっています。実際,診療報酬改正のときに省令が出されても,その後の通知が示されないために解釈がわからず,改正作業に着手できなかったという経験をされた方もたくさんいると思われます。
禁止規定と義務規定
条文を読んでみると,その最後に「……してはならない」とか「……しなければならない」といった表現が出てきます。このうち,「……してはならない」は禁止規定であり,「……しなければならない」は義務規定と呼ばれています。禁止規定や義務規定に違反した行為に対しては,罰則を科する旨の規定が設けられています。医師法第17条を例に挙げると,「医師でなければ,医業をなしてはならない」と規定し,同法第31条に「次の各号のいずれかに該当する者は,3年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金に処し,又はこれを併科する」とその罰則規定を設けています。医師法のほかの条文あるいは医師法以外の法令をみても同様に禁止規定や義務規定が設けられています。禁止規定や義務規定を設けているのは,何らかの制裁措置を設けることで実効性を担保するためであるということを理解しておきましょう。
努力規定と訓示規定
規定の中には違反したからといって,必ずしも罰則が定められているものばかりではありません。このような規定を「訓示規定」と呼んでいます。例を挙げると,医師法第23条は保健指導を行うことを規定していますが,罰則は定められていません。
また,「……努めなければならない」という文言の規定も見かけますが,このような規定は「努力規定」と呼び,訓示規定と同様,違反したとしても罰せられることはありません。
法令用語と日常用語
法令の条文には日常生活ではあまり使われなかったり,使われたとしても一般の意味とは異なって使用されている用語があります。いわゆる「法令用語」と呼ばれるものですが,療養担当規則にも随所に用いられています。法令用語を使用せずに日常用語だけで条文を書けば一般の人には読みやすく,親しみを覚えますが,表現の正確さ,簡潔にして明瞭ということになると,日常用語では技術的に不可能なことが多いために,どうしても法令用語が用いられることになります。
療養担当規則における法令用語
法令とは法律と命令を合わせた呼称です。日常の診療と密接に関わりのある療養担当規則は省令であり,この法令用語が用いられているのです。療養担当規則の中で最も多くみられる法令用語に「この限りでない」という文言があります。この用語はその前に出てくる文言の全部または一部の適用を打ち消す意味に用いられ,単に前文を打ち消すだけのものではないのです。
たとえば,療養担当規則第6条は証明書等の交付ということで,保険給付を受けるための証明書または意見書の無償交付を定めた規定ですが,但し書きで「……に係る証明書または意見書については,この限りでない。」と明記されています。この場合の「この限りでない」という意味は,無償としなければならないということを否定しているだけで,必ず有償にせよと言っているのではなく,有償とすることも妨げないという意味です。もし,「有償」なのであればはっきりと「……については,有償としなければならない」という文言になるはずです。
また,注意すべきものを挙げてみますと,「以上」と「超える」という用語もあります。「以上」は基準となる数値を含む場合に用いられ,「超える」は基準となる数値を含まない場合に用いられます。「遅滞なく」という用語も使用されていますが,時間的即時性を現す用語であり,「事情が許す限り早く」という意味です。
法令文の特徴を知る
法令の特徴を知ることで,その理解が深まることは明らかです。この法令文の特徴は誰が読んでも間違えることのないように正確に表現すること,つまり明確性にあります。法令文は正確性を重んじ,日常用語における修飾語で用いられる表現は取り除かれて簡潔,明瞭につくられています。法令用語の意味を理解することで,法令が何を言わんとしているかが理解できます。
補論3 捜査機関からの問い合わせと個人情報保護法
法令に基づく情報提供について
医療機関において非常に気を遣う問題に,法令に基づく患者情報の提供があります。なぜなら,必ずと言っていいほど医療従事者に課せられた刑法第134条の守秘義務規定と関係し,個人情報保護法との関係で医療現場が最も対応に苦慮するからです。
筆者の体験例を紹介します。あるとき,地元警察署の警察官が,「1週間ほど前に自宅を出たきり行方不明の老人に捜索願が出され,その行方を捜索していたところ,この病院に受診していたという情報を得たので,病名,治療内容等を聞きたい」ということで来訪しました。筆者が対応しましたが,警察手帳の提示はあったものの,「捜査関係事項照会書」の提出がなく,書面がなければ応じられない旨を説明しました。しかし,警察官は一刻も早く情報を得たいということで執拗に情報開示を求めてきました。筆者としては,法を守るべき立場の方が法に反することを相手方に求めることはどうなのかと難色を示したところ,署に戻って速やかに「捜査関係事項照会書」を用意し,提出してもらった経緯がありました。
捜査機関に協力することは当然です。しかし,同じような場面で,「捜査関係事項照会書」を後日郵送するという約束の下,患者の情報提供に応じたのですが,一向に提出されなかったという経験があり,現在は警察といえども「まずは提出ありき」で対応している状況です。
刑事訴訟法第197条第2項による照会
前述の「捜査関係事項照会書」は,刑事訴訟法第197条第2項に基づくものであり,個人情報保護法第23条(個人情報取扱事業者は,次に掲げる場合を除くほか,あらかじめ本人の同意を得ないで,個人データを第三者に提供してはならない)の第1項第1号(法令に基づく場合)に該当します。したがって,本人の同意を得ずに個人情報の提供を行ったとしても第23条第1項第1号(法令に基づく場合)に該当し,個人情報保護法違反にはならないとされています。
本件に関しては法施行後どのような対応を行えばよいのか各医療機関が最も苦慮してきたことと思われます。樋口範雄東京大学法学部・大学院法学政治学研究科教授は「本人の同意を得ると捜査などに支障を来す恐れがある場合以外は,やはり本人の同意をとるという原則に返る対処法も考えられる。しかし,患者が被害者である場合など,それが患者の利益に反すると思えない場合には情報提供しても民事上もおそらく問題にされることもなく,たとえ問題にされたとしても,損害はないか,あったとしても小さいはずです」と説明しています。
また,電話による警察署からの問い合わせもあるかと思われますが,その場合は管轄警察署名,氏名,電話番号を確認の上,折り返し返事する旨伝えて対応することです。
医療機関の対応
平成27年9月に改正個人情報保護法が施行されましたが,その中で大きく変わったのが,人種,信条,犯罪の経歴とともに病歴も「要配慮個人情報」とされ,本人の同意を得ないで第三者に情報を提供することは原則できなくなりました。
医療機関には,外部から患者に関する問い合わせも多く,返答に躊躇する場合も多々あります。初診申込のとき,あるいは入院手続きのときに,外部からの問い合わせに対しての本人の意思確認を行うことが求められます。
例外として法令に基づく場合は,本人の同意を得る必要はないということです。
医師には「刑法第134条により守秘義務があることから,安易に照会に回答することは患者本人から訴えられることも念頭に置いて対処する必要がある」との考えもありますが,捜査機関とて医療機関から情報提供がなければ迅速な捜査を行うことが不可能となり,犯罪解決にも支障を来しかねない状況が考えられます。個人情報保護法施行により,刑法第134条との関係がどうなのか医療現場で非常に腐心している医師も多いことと思われますが,捜査に協力することは国民の義務でもあることを踏まえて対応するべきと思います。
関係法令など
- 個人情報保護法第23条(第三者提供の制限)
個人情報取扱事業者は,次に掲げる場合を除くほか,あらかじめ本人の同意をえないで,個人データを第三者に提供してはならない。
- 1.法令に基づく場合
- 2.人の生命,身体又は財産の保護のために必要がある場合であって,本人の同意を得ることが困難であるとき。
- 3.公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって,本人の同意を得ることが困難であるとき。
- 4.国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって,本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき。
- 刑事訴訟法第197条(捜査に必要な取調べ)
捜査については,その目的を達するため必要な取調をすることができる。但し,強制の処分は,この法律に特定の定のある場合でなければこれをすることができない。
- 2.捜査については,公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる。
- 刑法第134条(秘密漏示)
医師,薬剤師,医薬品販売業者,助産師,弁護士,弁護人,公証人又はこれらの職にあった者が,正当な理由がないのに,その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは,6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。
補論4 カルテ未記載の影響
カルテ記載の変遷
ずいぶん昔になりますが,筆者が医療機関に勤めだした頃のカルテの記載内容は本当にいい加減だったように思います。その頃は保険請求の際のレセプト作成も全部手書きで行っていました。指導料関係などはゴム印を押印するにとどまり,指導内容はまったく記載していない場合がほとんどでした。
また,酸素の使用量や開始時間,終了時間等の記載がカルテに記載されていないなどで,ひと苦労しました。何で確認したかというと,看護記録からでした。昔から看護記録は正確であり,最も信頼のおける記録でした。また,監督官庁の指導も今ほど厳しくなく,看護記録から補うことでなんとか容認されていました。また,患者が医師に感謝し,医療訴訟とはほど遠い時代でもありました。
しかし,時代は変わりました。医師・患者関係は対等となり,頻発する医療事故によって医療を取り巻く環境は厳しさを増し,患者の医療を見つめる目が以前より厳しくなってきました。あらゆる情報が容易に入手できる時代を迎え,一般国民も医療に関する知識が豊富になり,昔のようなパターナリズムの医療が困難となってきました。こうしたことを背景に,訴訟件数も増加の一途をたどり,カルテの重要性が一気に増してきています。したがって,以前のようなカルテ記載方法では患者への説明はもちろんのこと,訴訟でも不十分と認識されています。
カルテに記載しない場合
医師法第24条には,「医師は,診療をしたときは,遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。(以下略)」と規定されており,医師に対して診療録の記載を義務づけています。ここでいう「遅滞なく」とは時間的に遅れてはならないことを示します。その日に記載しなければならないと説明している人もありますが,法律では日にちまでの指定は定めていません。しかし,正当なまたは合理的な遅滞が解消された時点で記載することが求められています。
換言すると,正当なまたは合理的な遅滞は許されるということです。「正当なまたは合理的な遅滞」とは,たとえば救命措置に手が取られて記載する時間がなかったり,緊急会議が招集され会議終了まで記載できなかったなどの場合です。ですから,人間の記憶能力から言っても,1週間後や10日後まで遅延することが許されるわけではなく,やはり事態発生後数日以内と解釈されています。
ちなみに,診療録未記載の場合は50万円の罰則に処せられることになります。
また,診療録に記載のないものについては保険請求不可との扱いとなっており,仮に未記載項目を保険請求した場合には不正請求として行政処分を受けることになります。何よりも訴訟となった場合,診療録に未記載であったばかりに実際に行った医療行為であっても裁判所に認めてもらえず,医師に不利な判決となってしまう可能性すらあります。
カルテ記載の重要性
今日ほどカルテ記載の重要性が求められていることはないのではないでしょうか。
特に2005年4月に個人情報保護法が施行され,カルテの情報は患者個人のものと認識されるようになってから,カルテの開示請求を求める患者が多くなってきたことは事実です。したがって,患者にとっては,何か疑問が起これば,つぶさにカルテを調べ,担当医師に疑義を問い質すこともできます。必要な処置を施したのにもかかわらずカルテに記載されていないために,施行していないと判断されることもありえます。訴訟となった場合に最後に拠り所となるのは,やはりカルテです。そこに適正な記載がなされた診療記録があれば,有事の際,医師救済となることを認識してください。
ここ数年,検査1つ,処置1つ施行するにも十分説明し,かつ納得していただき,同意書に署名してから施行するという手順を取るために患者1人に要する診療時間が以前に比べて大幅に長くなり,昔の3分診療などは本当に過去の話となってきました。今後,ますます時間をかけて診療することが求められるでしょう。しかし,時間をかければよいかというと決してそうではなく,最終的には患者が納得したかどうかということに尽きます。
多忙を理由にカルテへの記載を怠っている医師も多いと思われますが,医療行為だけでなく,患者の愁訴や医師の説明内容も記載するなど,患者の診療に関する事柄を日頃から記載するよう習慣づけることが必要です。いざ訴訟となった場合,自分自身を守るのはカルテであるということを,多くの訴訟を傍聴してきた筆者として声を大にして言いたいのです。
補論5 サービス心が仇
サービス心が仇
医療機関が第三次産業に分類され,サービス業と認識されてから久しく経ち,各医療機関とも患者サービスに力を入れてきています。それぞれの医療機関で工夫して多種多様なサービスを提供しており,患者本位の医療となってきたことは喜ばしいことです。確かに他の医療機関との差別化という点から患者サービスに力を入れている医療機関もあるでしょう。ただ,際限なく広がるサービス競争は医療機関にとって本当に好ましいことと言えるのでしょうか。
サービスも患者が喜べば何でもよいというものではありません。窓口を担当している医事職員は,患者が最初と最後に必ず接する部署であり,また苦情や問い合わせ,相談,質問等々何かにつけて患者との関わりを持つ部署です。ただ,困っている患者,苦しんでいる患者がいたら声をかけ,事情を聞いて適切に対処するということが医療機関の方針または業務の一環であれば問題ありませんが,職員個人の判断によるサービスの場合に問題が起きてきます。
たとえば,大きな荷物を持って待合室で待っている患者に声をかけて診察終了後まで荷物を預かる約束をして返却する際に荷物の中身が破損したり,中の財布が抜き取られていたという場合や,子ども同伴の患者が診察終了するまで預かっているうちに子どもが転んだり,ドアにぶつかってけがをしたなどという場合です。これらはまったくの善意で行った行為ですが,このような事故の場合には当該職員が謝って済む問題ではありません。破損や盗難に遭えば弁償をしなければなりませんし,けがをさせれば治療費はもちろんのこと,慰謝料まで支払わなければならない事態に発展します。
善意の行為に伴う責任
サービスとは言え,医療機関に外来患者の子守をする義務はありませんし,他人の物を預かる義務もありません。しかし,いったん前述のような善意の行為(物を預かったり,子守をすること)を行った場合には,相手方の利益に最も適うよう全うする義務が生じます。これを「事務管理」と言います。事務管理とは,法律上の義務がないのに他人のために仕事をすることを言います。法律では事務管理を始めた場合には,その本人の利益に適合するように管理する義務を負うことになります(民法第697条)。
したがって,善意の行為を始めた場合には善管注意義務(ある行為をするにあたって一定の注意をしなければならない負担を内容とする義務で,一般的に求められる程度の注意義務をいう)を負い,善管注意義務を怠り相手方に不利益を生じさせた場合には損害賠償が発生することになります。
医療機関のため,サービス向上のため,患者のためと考え,良かれと思って行った善意の行為にも十分な注意を払い,かつ対応しないと結局は職員および医療機関に損害賠償が生じ,医療機関のイメージに傷がつく結果にもなりかねません。
微笑が高くつく場合も……
日々多くの患者が来院する中,いろいろな患者がいます。職員が微笑んだだけで「人を馬鹿にして」と誤解して受け止められ,「事務長を出せ,院長を出せ」とわめき散らす患者すらいるのです。実際,このような患者に延々と長時間文句を言われ,辟易してしまったという事務長の話を聞いたことがあります。
職員としては来院している患者に対して親しみを込めて微笑んだだけなのに……。いろいろな患者がいる中,粛々と仕事をこなすことに注力するのが誤解を生じさせない対応なのかもしれません。
関係法令など
- 民法第697条(事務管理)
義務なく他人のために事務の管理を始めた者(以下この章において「管理者」という。)は,その事務の性質に従い,最も本人の利益に適合する方法によって,その事務の管理(以下「事務管理」という。)をしなければならない。
- 2.管理者は,本人の意思を知っているとき,又はこれを推知することができるときは,その意思に従って事務管理をしなければならない。
もつれない患者との会話術
「もつれない 患者との会話術<第2版>」
編者: 大江和郎(東京女子医科大学附属成人医学センター 元事務長)
提供/発行所: 日本医事新報社
目次
総論 |
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窓口・待合室での会話術 |
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支払いにまつわる会話術 |
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診察室での会話術 |
|
看護師・医療スタッフの会話術 |
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問い合わせでの会話術 |
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