もつれない患者との会話術
ポイント
医師法第24条でカルテ保存義務期間は5年間ですが,医療訴訟対策としては民法第724条を踏まえると,最低20年間保存すべきです。
解説
仮に,患者または遺族からカルテ開示を請求された医療機関が,廃棄または紛失を理由に開示請求を拒否した場合,法的にどうなるとお考えでしょうか。
まず,保存義務期間(5年)以内のカルテ紛失の場合だと,医師法第33条の2の定めに基づいて50万円以下の罰金に処される可能性があります。
さらに,医療ミスなどの可能性がある診療内容であって開示することが医療機関側にとって不利となるような状況が考えられ,あえて紛失したように見せかけたとか,意識的に廃棄したような場合には刑法の証拠隠滅罪(刑法第104条)で罰せられる可能性も大いにあります。
一方,保存義務期間経過後の廃棄では,医師法違反に問われることはありませんが,証拠隠滅罪に該当するような行為が考えられる場合は刑法の処罰対象となりえます。ここで,カルテの保存期間について医療訴訟の面から考えてみたいと思います。
かつての医療訴訟では,患者・遺族側が医療ミスを立証しなければなりませんでした。
しかし,近年の医療訴訟では,医療者側が自ら過失がなかったことを立証しなければならなくなり,根拠となるカルテの存在意義は非常に大きいと言えます。
最近は,B型肝炎訴訟に関係して過去の情報を収集する患者もいます。某病院の医事課長から,「『9年前の治療は実は医療ミスではなかったのか』ということで提訴された」という話も聞きました。医療訴訟対策の一環として,極力,カルテの長期間保存に努めたいものです。
●除斥期間
では,最大どのくらいの期間まで遡って,医療機関は訴えられるとお考えでしょうか。
他人の権利・利益を侵害することを民法では「不法行為」と呼びます。この不法行為の時効は,損害および加害者を知った時から3年,債務不履行では10年と規定されています。たとえば,10年前の手術で置き忘れた鉗子が発見された場合は,発見された時から3年間となります。しかし,不法行為による場合でも,20年間経過すると争えなくなります。これを「除斥期間」と言います(民法第724条 不法行為による損害賠償請求権の期間の制限)。
「除斥期間」とは,権利の行使を限定する期間であり,その期間内に権利の行使がなければ権利が消滅することを指します。特に,民法では一般的規定を設けていませんが,学説および判例で認められています。権利関係を速やかに確定することを目的とする「除斥期間」は,権利の行使期間を限定するものであり,一定期間権利行使されなければ権利が消滅する「消滅時効」とは,次の点で異なります。①中断がない,②援用は不要,③権利の発生の時から起算。したがって,請求や証人があっても除斥期間が過ぎた時点で権利が消滅することになります。
医師としても10年以上前の診療について訴えられても,当時を詳細に記憶していることはあまりないと思います。だからと言って,訴訟に備えて開業以来のカルテを保存するスペースを確保するのは大変です。ましてや,緊張を強いられる日々の末,忘れた頃に訴えられたりすることを想像して不安に駆られるのは,精神的にきついものです。
そこで,法律は不法行為から20年を経過すれば,どんなことがあっても訴訟を起こすことができない,としました。そうしなければ,世の中の法的な安定が保てなくなるからです。
ただし,この「除斥期間」による“権利消滅”についても例外を認める判決も出ています。こうした判決は「著しく正義・公平の理念に反する場合に除斥期間は適用しない」との判断に基づくものです。
今後も損害賠償請求権訴訟において,除斥期間を超えた請求権を認める可能性がないとは言い切れません。実際には個々の紛争事例に対する裁判所の判断を見るしかありませんが,被害者や遺族を救済しようとする場合にはその可能性があると考えてよいと思います。
常に最善を尽くす医師も1人の人間であり,ミスをすることはあります。そのために診療録に速やかに診療内容を記録し,とりあえず最低20年間保存することで,万一の訴訟に備えておきましょう。訴訟はないに越したことはありませんが,いつでも起こりえます。なお,「20年間」の意味は,「診療完結の日から」であることを一言付け加えておきます。
医療機関の対応
最近のデータによりますと,ここ10年間で医療訴訟の件数は減少から横ばい傾向にあります。これは医療事故件数が減ったということではなく,示談・和解で解決するケースが増えてきたことが挙げられると思います。
医療事故が発生したからといって必ず紛争化するわけではありません。また,医療事故によるものではないから医療訴訟に発展しないと断言できるわけでもありません。要するに,医師と患者の信頼関係が壊れたときに紛争が起きるのです。しかし,信頼関係を構築しても,ほんのちょっとしたことで脆くも崩れ去ってしまうことは,友情関係で経験済みと思われます。だからこそ,最後の拠り所となるのがカルテなのです。そのカルテが十分に記載されておらず,かつ見当たらないということになれば,医療行為そのものが疑われてもしかたないのです。
カルテの作成目的および性格について,次のような判決が出ています(東京高裁昭和56年12月24日判決)。
「医師法第24条により,その作成及び5年間の保存が義務づけられ,かつ同法施行規則第23条により,この診療録には病名,病状,治療方法などを具体的に記載することが義務づけられていることから,単に医師の診療行為における思考活動の軽減のための備忘録またはメモの類にとどまらず医師の診療行為の適正を担保し,さらには当該診療行為の対象たる疾病,傷害に係わる民事,行政等の分野における各種請求権の有無が争われる際における証拠を確保する使命をも負わされているものである」。
人間の記憶は時間とともに消えるものであり,記憶だけに基づく証言は証拠として取り上げられることはありません。そのために記録するのであり,当時の証明も記録により裏付けされるのです。繰り返しになりますが,医療訴訟を考慮すれば,永久保存をしないまでも,20年間はカルテを保存したいものです。
関係法令など
- 医師法第24条(診療録)
医師は,診療をしたときは,遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。
- 2.前項の診療録であつて,病院又は診療所に勤務する医師のした診療に関するものは,その病院又は診療所の管理者において,その他の診療に関するものは,その医師において,5年間これを保存しなければならない。
- 医師法第33条の2
次の各号のいずれかに該当する者は,50万円以下の罰金に処する。
- 1.第6条第3項,第18条,第20条から第22条まで又は第24条の規定に違反した者
- 刑法第104条(証拠隠滅等)
他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し,偽造し,若しくは変造し,又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は,2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
- 民法第724条(不法行為による損害賠償請求権の期間の制限)
不法行為による損害賠償の請求権は,被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは,時効によって消滅する。不法行為の時から20年を経過したときも,同様とする。
もつれない患者との会話術
「もつれない 患者との会話術<第2版>」
編者: 大江和郎(東京女子医科大学附属成人医学センター 元事務長)
提供/発行所: 日本医事新報社
目次
総論 |
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窓口・待合室での会話術 |
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診察室での会話術 |
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看護師・医療スタッフの会話術 |
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問い合わせでの会話術 |
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