もつれない患者との会話術
ポイント
患者・家族からのこうした指摘には素直に受け入れる姿勢がまず必要です。言い訳や熱意のない姿勢は,より大きなトラブルに発展しかねません。「今後は自分も組織も改善していきます」という姿勢を示すことで,たいていのクレームは収まるものです。
また,単にその場のクレーム処理に終わるのではなく,次の行動(ごみを取り除く,上司に報告する,業者に指摘するなど)に結びつかなければなりません。問題を放置せず,行動に移す。こうした環境づくりこそが最も重要なのです。
解説
建物の窓ガラスが割られたとき,そのまま放置しておくと,割られる窓ガラスが徐々に増え,その後,建物全体が荒れて,ひいては町全体が荒廃してしまうという説があります。つまり,たとえ小さな汚れ(あるいは犯罪など)であっても放置することなく,小さなうちに芽を摘むことこそ大切だ,ということです。これを「割れ窓理論」(Broken Windows Theory)と呼びます。この理論を最初に提唱した人物は,アメリカ・ニュージャージー州,ルトガーズ大学の犯罪学者ジョージ・ケリング博士です。
この理論を実際に採用したのが,ジュリアーノ元ニューヨーク市長です(在任期間:1994年1月~2001年12月)。当時のニューヨーク市は凶悪犯罪が多発し,治安が非常に悪化していました。すさんだ公園,不衛生なアパート,崩れかけた工場,そうした中を薄汚れた地下鉄が走り,街全体がまさに荒廃していました。このようなニューヨーク市の治安を回復させる拠り所となったのが「割れ窓理論」です。この理論を実践するために,ニューヨーク市は警察官5,000人を採用,また迷惑防止条例の積極的な運用を図りました。具体的には,徹底した徒歩パトロールと軽微な犯罪(落書き,地下鉄の無賃乗車,万引き,騒音,未成年者の喫煙など)の取り締まりを実施し,結果的に犯罪防止の効果を上げたのです。殺人事件だけでも,市長の就任前と比較して4割ほど減少したと言われています。
日本でも,警察や自治体,地域住民にまで,この「割れ窓理論」を実践するところが出てきました。全国初の「歩きたばこ禁止条例」で有名になった東京都千代田区の「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」も,この理論に基づいていると言われています。条例の冒頭では,「千代田区は,区民とともに,安全で快適な生活環境を護るため,ごみの散乱防止を始め,諸施策を実施してきた。しかし,公共の場所を利用する人々のモラルの低下やルール無視,マナーの欠如などから,生活環境改善の効果は不十分である。生活環境の悪化は,そこに住み,働き,集う人々の日常生活を荒廃させ,ひいては犯罪の多発,地域社会の衰退といった深刻な事態にまでつながりかねない」と,制定の趣旨を説明しています。
要するに,たばこや空き缶のポイ捨て,歩きたばこなどが環境を悪化させており,モラルによる改善の期待には限界があるから,ルールを定め,快適な住環境を実現しようということなのです。条例では罰則を設け,違反者に厳しい制裁を科しており,この結果,施行前と比べて落ちている吸殻の本数が確実に減少し,街全体がきれいになっている,と区の広報で紹介されています。
かつて,「医療機関=安全(安心)な場所」との認識があり,医療機関は犯罪や事件とは無縁な施設と思われていましたが,最近では「最も無防備な場所」と言われています。
少し古いデータになりますが,平成20年に警察庁が公表した「犯罪統計書」によると,医療機関(病院・診療所)内での犯罪認知件数は1万1,690件であり,このうち窃盗犯が全体の8割を占め,以下,暴力,損壊となっています。
これらの事件を未然に防止するには,原因となる芽を小さいうちに摘まなければなりません。たとえば,窃盗に対しては,巡回を頻繁に実施したり,監視カメラを設置したり,鍵付きの床頭台を取り付けたり,貴重品預かり窓口を設けたりするなどして,窃盗しにくい環境づくりをすることです。
また,清潔な環境も医療機関には不可欠です。よく目にするのが,窓の縁やカウンターの隅に放置された空のペットボトル,満杯のままのごみ箱,埃が残って清掃が行き届かない待合室です。
医療機関の対応
「アメニティ」という言葉が叫ばれ,最近ではそれぞれの医療機関が快適な療養環境づくりに努めています。たとえ築年数が長くても,清潔で手入れが行き届いていれば利用者を十分満足させることができるものです。これは,現存する古いホテルやデパートで実証済みと言えるでしょう。
一方,ごみ1つにしても,これを拾わず放っておけば,次から次へと新たなごみが積もり,最後には不潔きわまりないものとなります。トイレにしても,汚れをそのままにしておけば異臭を放ちますし,きれいに使おうという意識が患者の中で薄くなると,ますます汚れがひどくなる悪循環に陥ります。結果的に患者の不興を買い,医療機関自体が敬遠されることにもなりかねません。さらに,服装の乱れ,言葉遣いも同様です。これらも環境の美化と同様に注意しなければ,医療機関のイメージダウンへとつながり,経営にも影響を与えかねない状況となります。
つまり,事の大小,軽微か重大かということではなく,摘んでおかなければ後々,禍根を残す「芽を見逃さない」という意識を全職員が持ち,実際に行動することが肝要なのです。事の始めに適切に対処する,その重要性を常々,職員に説くことが管理者には求められます。
一方,患者・家族の自発的な協力を得られるよう,一工夫してみるとよいでしょう。ある大学教授が禁止メッセージの効果測定を目的とした実験を行った話を聞いたことがあります。命令口調で「ごみを捨てるな!」とポスター掲示するよりは,お礼口調で「皆様のご協力により待合室の清潔性が保たれております。ありがとうございます」というメッセージのほうが効果があったのだそうです。既にこうした呼びかけをポスターで掲示している医療機関もあります。皆様のところでも検討されてみてはいかがでしょうか。
もつれない患者との会話術
「もつれない 患者との会話術<第2版>」
編者: 大江和郎(東京女子医科大学附属成人医学センター 元事務長)
提供/発行所: 日本医事新報社
目次
総論 |
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窓口・待合室での会話術 |
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支払いにまつわる会話術 |
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診察室での会話術 |
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看護師・医療スタッフの会話術 |
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問い合わせでの会話術 |
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