もつれない患者との会話術
ポイント
まずは患者の立場に同情した上で,民法第657条に基づく「寄託契約ではない」との考えを背景に医療機関側には責任はないことをさりげなく示すのがよいでしょう。この場ではお詫びの言葉を述べる必要はないのです。ただ,戻ってこなくともよいような医療機関の傘を貸すなど,サービス精神を見せる工夫がベターです。
解説
●傘置き場で盗難が発生するのは必然
傘置き場や傘を収納するビニール袋はどの医療機関でも設置しているものですが,このケースのように,傘置き場の場合は盗難によるトラブルがどうしても発生してしまいます。患者のさしてきた傘が高価なものであればあるほど,医療機関側に対して盗難の弁償を求める度合いが強くなり,その対応に苦慮します。場合によっては,何が何でも弁償させようと執拗に食い下がられることもあります。
傘立てでは,施錠型かそうではないかによって紛失する度合いも違ってきます。特に未施錠型の場合,間違えて持って帰宅することも考えられますが,意図的に自分の傘よりもよい傘を持って帰る事例も考えられます。
●徐々にエスカレートする患者の要求。どこまでが医療機関の責任なのか
最近の患者の権利意識の急激な高まりの中では,弁償を求められたり,お気に入りの傘だったということで同じ物を要求してくることもあります。極端な場合,新品の物を購入した上で,その代金を請求する患者がいるかもしれません。
今回のケースのようなクレームの場合,いったい医療機関にはどこまで責任があるのでしょうか。もちろん,傘置き場の設置は医療機関側で行っていますが,「設置者=責任」となるのでしょうか。傘置き場の傘は医療機関で預かった物ということになるのでしょうか。たかが傘程度のことと思われるかもしれませんが,傘置き場の設置については盗難・紛失に遭った際の医療機関の立場・責任の所在をしっかり理解しておかないと患者の言いなりになってしまいかねません。
●寄託契約
物の保管を委託する契約を民法上「寄託契約」と言い,物の保管という他人の労務を利用する契約です。保管すべき物は動産・不動産を問いません。それでは,このケースのような「傘置き場の設置」も寄託契約となるのでしょうか。
「寄託契約における物の保管とは,受寄者(物を預かる者)の支配下に物を保持しその物の滅失毀損を防止して原状維持のために保全の途を講じることである」(『基本法コンメンタール.債権各論Ⅰ』遠藤 浩,編,日本評論社)。「原状維持のために保全の途を講じる」とは,管理する場所で労務提供が行われることを意味します。したがって,貸し金庫や貸し駐車場などは,積極的な労務の提供がないので寄託契約ではなく,賃貸借と解されています。この解釈から言えば,傘立てには病院職員の労務提供もなく,保管場所を提供しているにすぎないということになります。
医療機関の対応
これまで説明してきたように,「紛失や盗難に遭ったから」といって医療機関側に弁償する責任が生じることはありません。しかし,ここ数年,自己主張型の患者が多くなってきており,不都合が生じると何から何まで医療機関側の責任として主張してくることが多々あります。傘の盗難・紛失にしても,常識を超えた態度を示す患者もいるでしょうし,医療機関側の言い分を一切聞かない患者もいます。医療機関としても傘の盗難・紛失で延々と患者とやり合っている時間的余裕はありません。このため,患者の言い分に無理があるとわかっていながら,無用なトラブルを避けようと要求を受け入れてしまう状況も考えられます。また,患者にしても医療機関側に管理責任があるという認識を持っている場合もあります。
有効な手立てとしては,「傘立ては患者さんの便宜を図って設置しており,事故や盗難については当院では責任を負いかねます」というような掲示を傘立ての上に貼付することが挙げられます。最近の患者気質を考えると,医療機関側でもトラブルの未然防止の意味から自衛策を講じるべきでしょう。
関係法令など
寄託は,当事者の一方が相手方のために保管をすることを約してある物を受け取ることによって,その効力を生ずる。