もつれない患者との会話術
診療契約の成立
医療機関の窓口担当者は,初診の際,患者から被保険者証の提示を受け,診察申込書に氏名などを記入していただき,診察室に案内しています。果たして,この何気ない窓口業務が,実は「診療契約」を交わしているということに気づいている人が何人いるでしょう。
契約を交わすというと,売買契約や委任契約などのように契約書に双方サインして押印し,契約内容を履行するというイメージがあると思いますが,医療機関の窓口に契約書らしき書類を置いてあるところはまずありません。しかし,日常行われている「診療行為」は,民法上からみると,医師と患者の「診療契約」の上に立って行われていると言われています。
それでは,どの時点で「診療契約」が締結されるのでしょうか。
通常の初診外来の場合,患者が医療機関の窓口で症状を訴えて「診てもらいたい」と申し出て,これに対して医師(医療機関)が「診ましょう」と承諾することにより契約が成立します。実際には,患者が医療機関の初診申込書に記入の上,提出し,それを医療機関側が受理することによって契約が成立したことになるのです。
診療契約成立による医師・患者双方の義務
「診療契約」の成立によって「医師は診療するという債務が生じ,患者は診療に対する報酬を支払うという債務が生じる」ことになります。“契約”は双方の信義・誠実の原則に則って“履行”されますので,お互いに信頼関係の確立と維持に努力し,双方が病気の治療に全力で取り組まなければなりません。
つまり,医師は現時点の医学水準における「診療行為」を施行することに努め,患者は自己の症状を告知し,医師にすべてを委ねて治療に専念することが求められます。
「診療行為」は,患者が医師に対して投薬や処置,手術などの治療を行うことを“委任”することであり,「診療契約」の締結によって,医師・患者双方に契約上の義務(債務)が生じます。
ちなみに,「診療契約」は“準委任契約”と位置づけられています。そもそも委任契約は「法律行為を伴う」ものを指しており,“準委任”とは法律行為を伴わない行為,たとえば「物の管理などを依頼する場合」などを意味します。
「診療契約」は,一般の契約とは異なり,契約書の作成も行わなければ治療期間も治療方法も明確にされません。また,診断の方法,治療法の選択・変更などの“債務の履行”も医師の裁量の範囲とされ,結局のところ,契約の内容は医師が自由に決定することになります。したがって,患者の生殺与奪権は医師の裁量次第ということが言えます。
しかし,「診療契約」を締結している以上,何から何まで医師の自由な判断に委ねているわけではありません。最終目的(病気の治癒)に向けてどのような手段で診療を行えば,“契約”を“履行”したことになるのか,概ね次の項目が医師の“義務”として課せられています。
1.医師の義務
- ①インフォームドコンセント
この言葉も現在ではすっかり定着しましたが,医師と患者は対等の立場であることを前提に,医師は治療開始に当たって,まず事前に患者に説明を行い,同意を得ることが必要となります。特に,生命・身体に多大な影響を及ぼすと思われる治療や検査については,事前に患者の承諾を得なければならないとされています。
- ②医師は最善の方法をもって治療を行わなければならない
医師は,自己の持つ知識・技術・経験をもって,最善を尽くし診療にあたるべき,ということです。
- ③医師自ら診療を行わなければならない
原則として,医師自ら診察や投薬などの治療を行わなければなりません。これは,一連の行為を同一医師が行うことで一貫した治療が期待できること,また他の医師任せの治療が契約の基盤である信頼関係の崩壊につながりかねないからです。
- ④専門医への診療の委任
前項と矛盾するところがありますが,医学の進歩により治療も専門化・細分化され,1人の医師がオールマイティーで全診療科に精通できるわけではないことから,専門医の診療が必要と判断した場合には,積極的に紹介することが患者の治療にとって最良の方法であるということです。
- ⑤診療に対する患者への報告義務
医師は患者の容態や検査結果・手術結果について,患者から報告を求められた場合には必要な限り報告する義務があります。したがって,多忙を理由に報告を怠ることは義務を果たしていないということになります。
一方,患者には次のような項目が“義務”として課せられています。
2.患者の義務
- ①診療費の支払い
診療を受けた場合には,必ず診療費を支払わなければならないということです。この診療費の支払いは成功報酬を意味するものではなく,治療の結果如何を問わず支払わなければなりません。最近,医師の診察が気に入らないとか,手術結果が思わしくないなどの理由で支払いを拒否する患者がいますが,もっての外と言わざるをえません。
- ②病状の告知
医師はまず,問診などから経緯や現状を把握した上で治療を開始しますが,問診の際に患者が本当の症状をありのままに告知してくれない限り,適切な治療方針が立てられなくなります。
- ③医師への従順・療養への専念
治療を行う上での必要な命令・指示・注意などに患者は従わなければなりません。なぜなら,医師が最善の努力を尽くしても,患者がその指示に従わなければ,治療効果が期待できないからです。また,医師が最善の努力を行っても,患者に治そうとする自覚と意識がない限り,治療効果は期待できません。そのためにも,患者には療養への専念が求められるのです。
- ④療養上の規則の遵守
医療機関は日々,多くの患者を診療しています。そこには必然的に規則があり,かつ,その規則を守ることが義務づけられます。また,入院による療養生活では他人との共同生活を強いられることになり,互いに迷惑をかけることなく快適に過ごすためにも,規則遵守が必要となってくるのです。
診療契約に基づかない診療行為
「診療行為」は契約によって行われていることを説明してきましたが,すべての「診療行為」が「診療契約」に基づいているとは限りません。たとえば,重症で意識不明の場合や精神疾患で正常な判断ができない場合などです。一刻を争って診療を開始しなければならないとき,「診療契約」が結ばれていないまま「診療行為」を行うことを,法律では「緊急事務管理」と呼んでいます。「診療契約」が締結されていない「診療行為」を行った場合においても,医師・患者双方には次のような“義務”が生じます。
1.医師の義務
- ①依頼なき場合でも最善を尽くさなければならない
依頼がないからと言って,いい加減な診療行為を行ってよいということはありません。契約を締結した場合と同様に最善を尽くさなければならないのは当然のことです。
- ②診療行為の継続的な管理
いったん,診療を開始したからには途中で中止することなく,最後まで治療を続行しなければなりません。
- ③診療についての患者への報告
依頼がないからと言って報告する必要がないということではありません。契約締結の場合と同様に経過報告,検査や手術などの結果報告を必要な限り行わなければなりません。
2.患者の義務
- ◎診療費の支払い
患者側が診療を依頼したわけではないからと言って支払いを拒否できるものではありません。仮に結果が悪かったとしても,診療費の支払いをしなければなりません。
医療機関として
以上,「診療契約」について説明してきましたが,実際には,ほとんどの方がこうした医師・患者双方の“義務”の存在を知りません。そして,そのためにトラブルになることが多々あります。
医学部教育における医療保険制度に関する講義と,保険者による被保険者への周知・啓蒙がしっかりとなされれば,医師・患者の双方がそれぞれの“義務”を果たすようになり,スムーズな診療が行われるようになるのではないでしょうか。
準委任契約とは?
民法には,ある人が誰かに何かを依頼する関係の契約として,雇用契約(他人を雇って働かせる契約),請負契約(他人にある仕事の完成を約束させる契約),委任契約(他人に何かをするよう依頼する契約)の3項目があります。
一般に,医師は患者に雇われるわけではありませんし,完全に治癒を約束できないことから請負契約にも該当しません。残る委任契約が当てはまると考えられていますが,さりとて民法上の委任契約は法律行為(例:不動産を購入する契約を結ぶなど)を委任するものとされています。検査や手術のような行為は事実行為であると考えられているため,委任に準ずるという意味で「準委任契約」だというのが通説となっています。
もつれない患者との会話術
「もつれない 患者との会話術<第2版>」
編者: 大江和郎(東京女子医科大学附属成人医学センター 元事務長)
提供/発行所: 日本医事新報社
目次
総論 |
|
窓口・待合室での会話術 |
|
支払いにまつわる会話術 |
|
診察室での会話術 |
|
看護師・医療スタッフの会話術 |
|
問い合わせでの会話術 |
|