本日は、降圧薬ARNI(angiotensin receptor neprilysin inhibitor;アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬)についてお話しさせていただきますが、最初に少し生命の進化の話をしたいと思います。
これまで私たちの祖先は海中で発生し、陸上に進出したとされてきましたが、最近の進化学では、脊椎動物は海水と真水の混じりあう汽水域で発生したと言われています1)。その根拠は、脊椎動物の体液中の塩分濃度が0.9%と汽水に該当するからです2)。そして、あるもの(魚類など)はより塩分濃度の高い海へ、あるものは陸に上がってきたと考えられています1, 3)。
では、塩分濃度の高い海に潜った魚たちは、どのように体内の塩分濃度を0.9%に維持しているのか、また陸に上がった生物は、水も塩分も乏しい陸上でどうして体液中の塩分濃度を0.9%に保っていられるのか。これは、それぞれが塩分や水分を調節する様々なホルモンを獲得・発達させてきたためと考えられます。私たち陸上の生物は、常に脱水との戦いのなかにあり、体から水分・塩分を失わないよう、レニン、アンジオテンシン、アルドステロン、バソプレシン、カテコラミンなどを発達させてきました4, 5)。一方、海の魚たちは、体から余分な塩分を捨てるためにANPやBNPなどのナトリウム利尿ペプチドを発達させてきました6)。魚類には、こうしたナトリウム利尿ペプチドが5種以上あると言われています7)。
こういったホルモンの発達とともに血圧はどう変化したのでしょうか。魚は血圧が低く20~40mmHg程度と言われています1, 3)。体が周囲の水圧で押されているため、低い血圧でも血液が全身にスムーズに流れるのです。この低血圧の維持に欠かせないのがナトリウム利尿ペプチドです(図1)3)。
一方、陸に上がった生物は重力に逆らって心臓から全身に血液を送る必要があるため、血圧が低いと困ります。陸という新たな環境に適応するために、高い血圧が必要になったわけです。さらにヒトは直立しているため、より高い血圧が必要で、それによって全身にくまなく血液を送れるようになり、高いパフォーマンスをもって運動ができるようになったとも考えられます8)。そして、レニン・アンジオテンシン(RA)系によって、陸上動物はこの高い血圧を維持できるようになったと考えられています(図1)3)。
ところが、人類は現在、血圧が上がりすぎた状態になっていると私は考えています。進化の過程で陸に上がるために高い血圧を要しましたが、必要以上に高くなると逆に自らの体を蝕むようになってきたのです。わが国では4,300万人もの高血圧患者がいると言われていますが、その中で適切に血圧が管理されているのはわずか4分の1程度です9)。その理由には様々なことが考えられますが、食塩摂取量が多いこともその一つにあげられます9)。
こうした状況の中でARNIが高血圧に使用できるようになったわけですが、この薬剤を血圧管理にどう活かせばいいかを考えてみたいと思います。ARNIすなわちサクビトリルバルサルタンは、サクビトリルとバルサルタンを1:1のモル比で含む単一の複合体であり、体内に入るとそれぞれに分離します10, 11)。分離したサクビトリルはサクビトリラートに加水分解され、ナトリウム利尿ペプチドを分解するネプリライシンを阻害することで、ANP、BNPなどの体内濃度を上昇させます10, 12)。同時に、バルサルタンはAT1受容体阻害を通じてRA系を抑制しますので、ARNIはナトリウム利尿ペプチドの作用亢進とアンジオテンシンⅡの作用抑制を併せ持つ降圧薬と言えます10, 12)。
つまりARNIは私たちが進化の過程で獲得してきた陸上ホルモンのRA系を阻害し、海中ホルモンであるANP、BNPを復活させる、そうした方向に作用する薬剤であると言えます(図2)3)。ANP、BNPは主に心臓から分泌されるホルモンであり、ヒトにおいてANPはそのうち97%が心房から、BNPは77%が心室から分泌されます13)。また魚類では塩分排泄の主役ですが、哺乳類では体液貯留などの危機的状況でのみ分泌され、実際、健康人ではほとんど分泌されず、心不全の有用なマーカーになっています14)。またANP、BNPはナトリウム利尿のほか、血管拡張、交感神経抑制、RA系抑制などの様々な作用を有し、私たちが陸上で獲得したRA系に対して拮抗的に作用することが知られています15, 16)。ANP、BNPとRA系はシーソーのような関係になっていると言えるでしょう15)。
最後に、ARNIの降圧効果の特徴について考えてみたいと思います。私たちは進化の過程で、RA系を獲得し、体内に塩分を保持しようとしてきたわけですが、塩分の過剰摂取により、われわれ現代人のRA系はむしろ抑制されているのではないかと考えています。こうした場合は、減塩によってRA系阻害薬の降圧効果が増強すると考えられており3, 17)、現代の高血圧治療において減塩とRA系阻害薬はよいコンビネーションと言えます。しかしながら減塩目標の達成は実際には難しく、患者さんがどうしても減塩できないようなケースは珍しくありません18)。このような場合に、進化の過程で一度は必要性が低下したナトリウム利尿ペプチドをサクビトリルの作用で活性化し、体から余分な塩分を抜き去る方向へ向けることは、減塩と同様にARBの降圧作用を増強する可能性があります3)。ネプリライシンとRA系を同時に阻害するARNIは、両者のベネフィットを引き出すことができる薬剤だと考えています3)。
参考文献
1)海谷啓之,内山実(編).: ホメオスタシスと適応, p.104, 158-174, 裳華房, 2016
2)海谷啓之,竹井祥郎.: 比較生理生化学. 1997; 14(1): 13-27
3)西山 成.: カレントテラピー. 2022; 40(9): 896-900
4)次田誠,寺田典生.: Fluid Management Renaissance. 2012; 2(4): 347-352
5)斎藤能彦.: 大阪府内科医会会誌. 2007; 16(2): 212-219
6)竹井祥郎.: 成人病と生活習慣病. 2018; 48(3): 257-263
7)Takei Y.: Gen Comp Endocrinol. 2008; 157(1): 3-13
8)Nishiyama A, et al.: Kidney Int. 2022; 102(2): 242-247
9)日本高血圧学会高血圧治療ガイドライン作成委員会(編). 高血圧治療ガイドライン2019, p.7-10, ライフサイエンス出版, 2019
10)Langenickel TH, et al.: Drug Discov Today. 2012; 9(4): e131-e139
11)Shi J, et al.: Drug Metab Dispos. 2016; 44(4): 554-559
12)Volpe M, et al.: Clin Sci(Lond). 2016; 130(2): 57-77
13)Hosoda K, et al.: Hypertension. 1991; 17(6): 1152-1155
14)Mukoyama M, et al.: N Engl J Med. 1990; 323(11):757-758
15)西山 成.: カレントテラピー. 2015; 33(5): 506-510
16)Volpe M.: Int J Cardiol. 2014; 176(3): 630-639
17)日本高血圧学会高血圧治療ガイドライン作成委員会(編). 高血圧治療ガイドライン2019, p.108, ライフサイエンス出版, 2019
18)鬼木秀幸ほか.: 血圧. 2013; 20(6): 626-629